大成がつぶやきます。

理想に生きるリアルを書きます。

人のせいにするのダサいから辞めよーぜ。

みんな、何かを抱えている。

 

こんばんは。

 

大掃除をして、明日からお盆休みに突入します。野村大成です。

 

 

せっかくお休みを頂くからには、資本である体をしっかり休めたいと思います。

そして、広島へ行くので「日常で薄れてしまうありがたさを取り戻す」ために、原爆ドームに行ってこようかと思ってます。

 

自分たちと血の違わない同じ日本人が、かつてのたいへん大きな逆境をいかにして乗り越えたのか。。

 

 

日常で薄れるありがたさといえば、ついつい愚痴をついこぼしてしまう人へ。

人のせいにしちゃう時あるよね。

 

とてもわかる。

 

僕の悩み1つとってもそう。

本当は、したくないイライラだったり、迷いだったり、人への冷たい態度だったり。

本当はしたくない。

 

 

みんな、人それぞれ、今日までの境遇も違えば立場も違うんだ。

背負っているもの、抱えているものだって違う。

 

色々な人の背景を聞いたり、背景が見えたりすると、誰も見捨てたくない。

幸せになってほしいし、そのために自分のできることをしたい。

僕は本当はこう思うけど、愚痴をこぼしてしまう人はどう思ってるのかな?

 

僕も不満が出る時がもちろんある。

そういう時は

結局、自分が何を得るかばかり考えていた。

なんでかって言ったら、「今のままでは足りていなくて、より多くの価値を得なければ不安だ」と思っていたから。

 

でも、とっくに自分は十分足りていることに気がついているんだと思う。

でも、気づかないフリをして、足りていないところをあえて見る。

そうしたら、慰めてくれる人や優しくしてくれる人が出てきてくれる。

 

僕の場合はそんなことを期待していました。

そりゃいつまで経っても子供のままですよ。

書いてて恥ずかしいけど、平然と行動として表していたなんて。。

 

でも、期待した方が楽。しんどくない。

けど、本当にそんな生き方したいのかって。

 

愚痴をこぼすことで、共感だったりストレス発散したり、僕は悪くないでしょ?悪いのあいつ!って言い訳したところで、なんかそれは憧れていた大人じゃない。

 

 

だから、先にも書いた通り

「誰も見捨てなくない」ことを思い出すようにする。

そのために、「この人は、(自分に対して) 何かしてくれる/何もしてくれない」というジャッジを辞める。

その代わりに、「この人も何かを抱えて、精一杯生きている」って見方をするようにする。

 

そうしたら、人は常に最善を尽くしていることになる。

きっと、今までの自分を振り返ってもそうだと思う。

どんな時も幾多の選択肢から選んで今があるってことは、「こうするのが一番いい」ってことの連続を経ている。

 

だから、僕は「人はみんな精一杯生きていること」を第一において、その人のために何ができるか考えることを信条にしてみるよ。

 

 

人のせいにすること、辞めませんか。

楽な方(人のせいにすること)へ流されまいと生きるのは時には大変かもしれませんが、

自分が大きく変わる時だと信じて、かっこよく生きたい。

そして、そんな人と働きたい(^^)

そのためには、まず自分がそうならないとね。

そしたらきっと、うまくいかないことに嘆かなくなる。