それを実践しているリーダーって辛いだろうけど、めちゃくちゃカッコいい。
おはようございます。
昨日、平成対昭和の徹底討論していた番組がありました。
パワハラなどの問題に対して、お互いの価値観、主張がどんなものかという討論を、ベテランの芸能人と若手の芸能人や社長などが繰り広げていました。
基本的に、人に指摘することは自分の首を絞めることになるので誰も得をしないのでしないようにしています。
その代わりすることは、「人のふり見て我がふり直せ」というように、気づかないところで自分は迷惑なことをしていないかな?と自分を振り返ってみています。
だから昨日の番組を観ていて、客観的に問題を考えることもできたし、自分がどのレベルなのかも把握できました。
パワハラ問題が番組の調査によると年間約8万件もあるのだとか。しかも、右肩上がりに増えている。
総数は変わらずに、明るみになった数が増えただけかもしれませんが、実際に理不尽な思いをしている人は多いんだな。と思いました。
では、その原因ですが。
これがまた正解がないというか、どちらの主張も正しいと思わざるを得なかったです。
パワハラやセクハラだけでなく、ハラスメントとは一括りに「嫌がらせ、いじめ」を指す言葉です。
だから、加害者側と被害者の認識が合っている場合と違っている場合がある。
加害者が意図して嫌がることをしているのか、たまたま被害者が嫌だと思うことをしているのか。
当事者が置かれている状況によっても変わってきますよね。
僕は番組を観ていて、昭和世代の方々も今の平成世代が感じている「理不尽さ」を経験してきていると思います。
特に昔はネットがなかった分、その場の力の差が埋められるものじゃないから、我慢するしかなかった。
でも、我慢することで「忍耐力」だったり、自分を信じる「信念」だったりを身に付けることができたと思うんです。
でも今は、ネットの力があり多くの共感を得ることができて、また他者にも事実が伝わりやすくなっています。
だから、被害者側も力を持つようになってきた。
今の中間管理職の方々は、若者が持ちはじめている、言ったら「ネットの力」に萎縮している状態なのではないかなと。
だから、弱者が発信できる世の中になったのは素晴らしいこと。
ただ、発信する側も成長する機会を逃している場合もあることを認識しているか。
我慢することで得られる力ってきっと大切だと思っていて、だからみんな我慢しろとは言いませんが
ある程度のことは我慢できる「強さ」も必要なのかなと。
番組でも、「パワハラなどをなくそうと思ったらコミュニケーションがめちゃくちゃ希薄になる」というような趣旨を誰かが言っていました。
(番組に対してめちゃくちゃ曖昧ですみません。。)
でも、確かにその通りだなと思います。
人と関わる時に自分の利より、相手の利を優先して関わることができればいいですが、実際はそんなに簡単じゃないのかもしれません。
僕ももちろん完璧ではありませんが、そうする努力は続けていきます。
パワハラ問題というより、その果てにある精神的な病気とか、自殺とか、そこがなくなればいいな。
そのためには、教える側の寄り添う強さと、教えてもらう側の乗り越える強さがいるのかもしれない。
1人じゃできないことも、その当事者の2人が互いに手を取り合えば、乗り越えていけると思うんです。
信じているから敢えて厳しく伝え、信じているから敢えて耐えてみる。
そんな信頼関係を築けるように。本日もご安全に。