大成がつぶやきます。

理想に生きるリアルを書きます。

野村のぼやき①

こんばんは。

 

何か目指すものが見えなくなったり、疑いだしたりすると、進まなくなります。

今に始まったことではありませんが、なぜこんな立ち止まるようになったのか。いつからこんなに自分を信じれなくなった?

 

自分が思うに、“ 立ち止まることの居心地の良さ “ を知ってしまったからに他ならないと思う。

頑張る必要もない。時には周りの人も心配してくれる。ただ何も考えずに楽に過ごせる。。

 

たしかに、それだけ見たら魅力的かも知れない。

人は楽な方に流される。特に、僕はとても弱い人間。コントロールしないとすぐ嫌になるし、コントロールがしたくなくてたまらない時もある。

 

 

でも、最近はほんの少しずつ変わってきている。

なんというか、やりたいことをやれているし、最低限やるべきこともやれる範囲が広くなった。

なにかをやろうと前を向く度に、失敗した過去が必ず出てくる。

頭がそのことでいっぱいというか、大半を占めている。

それを、出てこないようにするんじゃなくて、出てきた時に少しずつ認めるようにしている。

 

「今でも思い出すぐらい、それだけ本気だったんだ」

「今でも悲しいくらい、悔しいんだ」

「たとえ手元になくても、大切なんだ」

そう思うと、少しずつ救われることがある。

気休めだとしても、事実は違ったとしても、過去はもう2度と目の前には現れない。

記憶はとても曖昧で、自分に都合のいいように改ざんされることがあるらしい。

 

まだ、今までの失敗は100%許すことができない。

今でも悔しく、情けなく、落ち込むことがある。

でも、失敗してしまった過去なんて、そんなものなんだと思う。

って、強引にでも認めてみる。

失敗はいけないことじゃない。

いけないことは、失敗は悪いことだと自分を責めることだ。

 

少しの間は、過去を思い出したときにその出来事に至った自分の言い分を肯定してみる。形だけでも。

そして、それでも最善を尽くしていたのだと、自分を責めず、承認してあげたい。