大成がつぶやきます。

理想に生きるリアルを書きます。

人はみんな神様!?

こんにちは。

 

皆さんは神社にはなんで鏡が祀られているのか。

考えたことありますか??

 

是非この機会に考えてみて欲しいです。

 

ヒントは、“かがみ”という文字をよく見つめてみれば分かるらしい。

 

か が み

か  が  み

「か」「が」「み」

 

真ん中の「が」を抜くと、そこに映るのは?

 

 

 

もうお気づきですよね(^^)

 

「自分が」何かを得たい。

「自分のために」こうして欲しい。

 

これらの「我」を抜くこと。

誰かのために。

何かのために。

そう思い始めた時、初めて何かを得られる。

 

これが分かっていても、

いつのまにか「自分が」得ることばかり考えてしまう。

 

自分は十分与えられていることが

腹落ちしていない証拠かもしれない。

 

自分がなにを得るかではなく、

自分がなにを与えるのか。

 

きっと、人へ与え続けられている人たちは、

自分を与える状況へ持っていくのがうまく

その状況を作る習慣があるのだろう。

 

与えるとは愛。

人を愛するには、自分は愛されている。という土台がいる。

 

メンバーの基準が低いと思ったとしても

愛を持っていたら違う反応を示したはず。。

 

できない赤ちゃんに腹が立たないように

できないことはそれだけ可能性を秘めているということ。

 

宗教でも、神様から愛されている。という自覚を持つことで信仰が始まると思った。

 

 

不足感ばかりを持つのではなく、

満足感ばかりを持って

常に人に分け与えられる人として生きたいものです。