大成がつぶやきます。

理想に生きるリアルを書きます。

感情優先?

おはようございます。

ここ最近、筋肉の話題で話しかけられるのが9割以上男性で辛い野村大成です。

 

自分を分析した時に出てきた傾向があるので、書いてみたいと思います。

それではどうぞ!

 

何を優先してる?

やるやらないを判断する時に、どちらかといえば感情を優先していたように思います。

それは、ある程度続けていると嫌な面も見えてきてやりたくなくなり、理由を正当化するが如く辞めてしまうことがあったから。

 

自分1人の問題ならいいけど、他の人が関わってくることでも辞めてしまったことがある。

 

 

以前のブログだってそう。

多くの人に読んでるよ〜と言ってもらえていたけど、結局書くことがないと思い書くことを探すことが嫌になって辞めてしまった。

 

別に書かなくなったから直接生活に支障が出るわけではない。

ただ、そう言う形で信用がなくなると、ジワジワと負けていくことが予想できる。

 

 

何をもって負けとするかは人それぞれとは思うけど、これからの時代、ファンの存在は大きい。フォロワーではなくてファン。

 

誰と何をするか。

目的地に着くのもだが、道中も楽しむ。

それでは本日もご安全に!

全て実験。

おはようございます。

夢でも仕事をしています。野村大成です

 

どこまで自分勝手は許されるのか。今日はそんなことについて書いてみます。

それではどうぞ!

 

やりたい様にやる?

最近は、YouTuberなんて働き方も出てきて、「好きなことで生きていく」なんでキャッチコピーもあります。

今まで労働って、どちらかというと我慢に対してお金をもらえていた側面が強かったけど、今はどんなふうに稼ぐか、収益を得る方法を考える側面が強いです。

 

きっと、戦後の何もなかった時から比べて日本がある程度豊かになって、余裕が出てきた証拠なんだろうけど。

 

 

まぁ、「好きなことで生きていく」ってそこだけ見るとすごい魅力な言葉だし、誰もがそれをしていけたらいいんじゃないかと思うけど、現実を見て「まぁ、とは言え…」って我に帰るのが大半の人だと思う。

 

そんな中でうちの会社は人数も多くはないので、自由な面が強くある。

ある程度仕事も覚えれば、自分のやりたい様にってできることもある。

 

 

そこで勘違いしてはいけないのは、責任は会社が持っているってこと。

会社というより、上司の方たちが持っている。

 

会社が経費を出しているし、税金など納めてくれている。

 

「好きなことで生きていく」って言葉は表面のほんの少しの割合で、後の大半は生きていくために必要なお金の支払いや、戦略を練る時間がほとんどだろう。

 

 

それを勘違いして、やりたい様にできる、もっと自分のやりたい様にしたい、変えたい。そう思って働き続けるとどうなるのか。

 

見守ってみたいと思います。

そして、自分自身は誰の責任の元で動いているか自覚した上で最大限、挑戦してみたいと思います。

それでは本日もご安全に!

喧嘩はよく売られます。

おはようございます。

どうも早起きは苦手な様です。野村大成です。

 

今日は正しさを押し付けない生き方を考えてみます。

それではどうぞ!

 

売られた喧嘩は買わない?

ちょっと乱暴な言い方ですが、正しさの押し付け=喧嘩だとすると、喧嘩を売らないことは当たり前ですよね。

じゃあ、喧嘩を売られたときは?

 

 

そこで反応すると、正しさのぶつかり合いになる。

どちらかが合っていて、どちらかが間違っているというのはあまり問題ではなくて、そのぶつかり合う時間がもったいない。

 

誰でも間違えるし、こっちが正しくて論破したところで残るのは勝ち負け。

自分が自分の間違いに気付いてこそ、歩み寄りがあるな〜と。

 

 

じゃあどうすればいいのかといえば、相手にしないってこと。

時には無視だけど、同じ相手にしないでも違う方法もある。

アドバイスとか聞いた時に受け取るだけ受け取って、実行しないとか。笑

 

でもそれも、期待してたのに…ってなるか。

アドバイスは聞く人の方が稀だしな。

期待に応えるかどうかはその人次第。

 

 

受け流す器の広さを持ちます。

それでは本日もご安全に!

やらないことを決めようかな。

おはようございます。

久々の銭湯が骨身に染みた野村大成です。

 

ふと思いついたことがあったので、書いてみます〜。

それではどうぞ!

 

自分の見ている世界はどんな広さ?

未来と過去はないものだとしたら、現在だけが見えている世界。

でもその大きさは人によって違うなーと思います。

 

 

どういうことかというと、自分のことだけ考えている人は自分だけ。

家族や友人のことを考えている人、会社のことを考えている人、社会、日本のことを考えている人、世界を考えている人。

 

どこを見ているかによって、世界の広さは変わる。

そして、関わる人もお金も変わってくる。

 

見ている世界が広ければいいわけでもないけど、より多くの人、より大きなお金が動いているのは確か。

広いところを見ている人の方が、自分の感情や損得は考えていない。

 

 

自分のことが自分でできないといけないのか?

だらしない人は社長になれない?

それも正しいのかも知れないけど、結局求められるのは、頭に描いたものを行動に移して結果を得られる力だと思う。

 

それを磨く。

だらしなさは、やらないといけない環境にならないとできないと割り切る。

 

 

より広い世界を見ながら、身の回りのことから一つずつ片付けられる人。

目的のために効率的に、効果的に、そのほかの要らないものを徹底的に避ける。

 

あとは、その時になったら考える。

それでは本日もご安全に!

やると決める。

おはようございます。

遠出がしたいのにできなくて余計遠出がしたい野村大成です。

 

今は我慢の時。そう言い聞かせて、やるべきことを一つずつやる。

いつか必ず道は開ける。

 

結果を早く求めたくなるけど、筋トレと同じで少しずつの積み重ねでしか効果は得られない。

 

最近休みが少ないのを理由に筋トレも控えがち。。

そうじゃなくて、どうしたら休まなくてもトップパフォーマンスが維持できるか。

筋トレは勉強アンド投資として(ほぼ毎日)こなす。

 

体を壊さない様にだけど、挑戦もしないと!

来週からはバリバリやってくぞ!

 

日曜日はこんな感じで。

それでは本日もご安全に!

仕事とプライベート

おはようございます。

二度寝中毒の野村大成です。辞められない。

 

同世代だと土曜日が休みの人も多いと思いますが、本日も仕事になります。

仕事とプライベートの違いについて書いてみようと思います。

 

働く人生

まず受け入れないといけないな〜って思ったのが、働くこと。

文字通り、「人」のために「動く」ことは避けられないと人生を通じて感じています。

自分のことだけ考えていれば楽だけど、どうやら求めているものは人のために動いた先にあるみたい。

このブログもそうだし、仕事だってもちろんそう。

 

そりゃ生きていくのにかかる税金は約5万、生活費は約5万、携帯とか含めても、全部で15万円ぐらいあれば生活できちゃう。

バイトで十分だし、今だったら時給もそこそこだから好きな時間だって…

 

 

でも、半分生きるためだけに生きてみて、そりゃつまんないし、重荷になってた人との繋がりって、自分が負担と考えていたその考え方にこそ問題があった。

 

自分のことを犠牲にしてまで人のために動く必要はない。

でも、理想がある限り、その犠牲に感じるラインは大きくしないといけないとも思う。

 

 

具体的に、家族までは喜んでできるけど、会社の人へは負担になる。

それなら、会社の人へも喜んでさせてもらえるように成長できれば、器が大きくなった証拠。

それが身の回りの人を超えて社会や国ってレベルまで広がっていく。

 

どこまでいけるかはわからないけど、日本ぐらいまでは影響力持ってみたいと思う。

 

世界はイメージつかないけど。。

 

 

そんなこんなで、人のために動くことを喜べる心のあり様を持ってみます!

それでは本日もご安全に!

もう、許すことにしました。

おはようございます。

セブンイレブンの海苔の佃煮おにぎりにハマってます。野村大成です。

 

最近、過去を振り返ることが多いので、過去に対する捉え方を変えてみました。

すると現在の捉え方も…

 

それではどうぞ!

 

見張ることがなくなった

自分の過去って、もちろんいい思い出もありますが、嫌な思い出の方が強くてそれをずっと引きずっていました。

 

色んな原因があるのか、自分の中では忘れてはいけないことだって思ってました。

自分が良くないことをしてしまった罪悪感だったり、次に活かすための反省だったり。

 

自分も苦しい思いをしたこと、人に苦しい思いをさせてしまったこと、それを忘れることの恐怖がありました…。

 

 

背負わないといけないと思ってたし、忘れて幸せそうにしてたら復讐されるとも思ってた。

 

ただ、心理学の本にこんな詩が書いてありました。(うろ覚えですが)

あなたと出会えたのなら、それは素晴らしいこと。

あなたと出会えなかったのなら、それは素晴らしいこと。

 

あなたはあなたのために生きる。

私は私のために生きる。

 

 

結局どちらも素晴らしい。

良いか悪いかなんてそれぞれの解釈なので、人によって見方は違う。

ただ、人が生きていること、複数の人が生活している社会、それが奇跡という事実。

 

YouTuberのラファエルと武井壮の対談で、武井壮が人が生きていることの尊さを伝えていてこの詩を思い出しました。

 

 

過去に自分がしてしまったこと、確かに人を傷つけたのかもしれない。

でもそれはそれで素晴らしいことなんだと。

 

もちろん、人を傷つけてもいいとは思いませんが、その人がどれだけ傷ついたのかなんて、本人にしかわからない。

 

自らのしてきた全部の行いをその時の最善だったとして、許してみる。

すると、こうしろよって人に対する正しさの押し付けがなくなった。

ずっと、やらかした自分を見張って、ミスをしないように、正しく生きるように監視してきたんだろうな。

 

 

もう、終わりにしよう。

それでは本日もご安全に!